17世紀徳川家光治世のとき、川越を起点とした新河岸川舟運が始まり、人口が急増する江戸庶民へ向けて、米や小麦粉や野菜類の食料供給基地となりました。今でも、当時のふじみ野市を代表する船問屋である、天保2年(1831年)に開業した福田屋の建物が、記念館として残されています。
三富地域は、川越市、所沢市、狭山市、ふじみ野市、三芳町の4市1町にまたがっており、都市部にありながら、江戸時代に開拓された当時の姿を今に伝える、緑豊かで歴史の薫る美しい畑作地帯です。開拓されてから今までずっと環境に優しい農業をしていて、いろんな野菜がたくさん作られ県内有数の野菜産地になっています。この地域の特徴は、一農家ごとに幅40間(約72m)、長さ375間(約675m)と細長く地割(区画)され、そこを道に面した方から順に屋敷地、農地、そしてコナラやクヌギなどの平地林を配しているところです。さらに強風で土が飛ばされないように、畑の境界にはウツギやお茶の木が植えられています。この地割の一部は「三富開拓地割遺跡」として埼玉県の史跡に指定されています。
元祖 環境保全型農業 自然の生態系を生かした環境に優しい農業
三富地域の農業は「環境保全型農業」で300年以上も前から毎年、冬に平地林にある落ち葉などの資源を集めて(この地域では落ち葉を集める作業を「ヤマ掃き」・「クズ掃き」と呼んでいます。)堆肥を作って畑に撒いて土を改良してきました。そのため栄養分の少なかった土でも元気で美味しい野菜を作ることができるようになりました。さらに切った枝などは薪や炭にして再利用するなど自然の生態系を生かした環境に優しい農業に取り組んできました。
日本農業遺産 武蔵野の落ち葉堆肥農法 令和5度認定
三富地域がある武蔵野台地は、火山灰土に厚く覆われた作物が育ちにくい土地でした。この地域を開拓するために、江戸時代から多くの木を植え、平地林(ヤマ)として育て、木々の落ち葉を掃き集めて堆肥にして畑に入れ、土壌を改良する伝統的な「落ち葉堆肥農法」が営まれています。武蔵野の落ち葉堆肥農法世界農業遺産推進協議会が申請した「武蔵野の落ち葉堆肥農法」は、都心部にありながら農産物を安定的に生産していること、美しい風景やたくさんの生き物が住める環境を育むシステムが今なお続いていることが評価されて、平成29年3月に日本農業遺産に認定。令和5年7月に世界農業遺産に認定されました。
※世界(日本)農業遺産とは何世代にもわたり継承されてきた伝統的な農業と、文化などが一体となった、 将来に受け継がれるべき重要な農林水産業システムを認定する制度です。令和5年7月現在、国内では15の地域が世界農業遺産に認定されています。